運、ってどこまでが運なの?
2012年6月27日 MTG コメント (2)いやぁ、夏っていいね>挨拶
最近は日が出るときは本当に気温が上がって、夏大好き(一部の悪魔の出没を除いて)なオレとしては実に嬉しいです。こういうのを「わが世の春」っていうのかな?季節思いっきりズレてるけどww
夏というと小さい頃に夏休みに田舎帰ったりしたときのことをいろいろ思い出すんですけど、今住んでる家がどことなく似てる雰囲気があって、たまに「あ、これ田舎であったアレと同じ」みたいに思うことがあります。匂いだとか風だとか水だとか。そういう意味ではけっこう幸せなんだなーって思います。最近めっきり行かなくなったんですけど、久しぶりに行きたくなってきたな。広島近いしw
さて、GP終わってからちょこちょこ出てる話題です。
某所で拝見したんですけど、「勝ったときは自慢気に語るけど、負けたら全部引きとか運のせいにしてる人」みたいな内容が出てますね。
もしかしたらオレ個人も似たようなところがあるかもしれないです。正直言って負けた試合はプレイングで負けた部分も多分にあるはずなんですが、それに気づかない場合も多いですし、本当の意味で「引きが悪くて負けた」場面もいっぱいあります。
例えば相手の場で《ウルフィーの銀心》が2体で結魂してて除去1枚も引けない場面とか、プレイングでやり過ごすにも限度があるわけでw しかも相手のデッキに銀心2枚しか入ってなかったら、「相手の引きつえー、オレの引きよえー」みたいな話になってもある意味仕方ない部分はあるのかな、とw 人によってこの手の噛み合い方っていろいろありますからね。
ちなみにオレ自身の場合は、デッキの構成上ある程度この言葉が出るのも仕方ないことはあります。自分の中で「できるだけ多くのものに対処したい」と考えてそのためのパーツをいくつも散らしているので、直面した状況に対してしっかり引けなかったら対処できない、ってパターンが多々あります。こういうときに「引きが弱い」って表現を使うこともありますが、ある意味運の弱さと同時に構築力の弱さも含めた自戒のつもりでもあったりします。
正直言って「何引いても勝てるデッキ」作り上げられれば「引きが弱い」なんて事象は発生しないわけで。そんなデッキが存在するかどうかはわかりませんが、ドロースペルを入れて確率を上げるなりなんなりすれば、それに近い形のデッキは作れなくもない気はします。
個人的な考えでは《出産の殻》デッキはよくできていると思います。
あれはキーカードになる殻さえ引けば、残りはクリーチャーのマナ域は散らしてあるので、ほぼどのクリーチャーを引いても「期待した動き」ができるのは強みだと思います。当然「出れば強いクリーチャー」で大半が構成されているので、殻を引けなくても直接手札に引いた場合、マナさえ整っていれば普通にプレイするだけで勝てる試合もけっこうあると思ってますし。
少なくともマジックやってる以上、デッキの約4割が土地、残りがスペルなら、当然初手がノーランドもオールランドも起こりうるわけでして。
同じようなパターンが何度も続いたらさすがに違和感は覚えるところですが、1回2回やったくらいでどうこう言うほどのことでもないかと思います。
どちらかというとアナログな考え方になるので検証は難しいですが、試合には「流れ」というものも存在します。野球好きで見てるオレとしては「ミスしてチャンスを逃したら自分のところにきてた流れが相手に移ってしまう」なんてことはよく感じますし、ビートダウンやスライなどのデッキを使ってる人が上位入賞してるときは「苦手なデッキ踏んだけどそれ以上の勢いで勝った」なんて話もよく聞きます。
確率論だとかで語ると信じられない現象ではあるんでしょうが、普通に考えたら7回戦のデータとして見ても「サンプルを1000回以上取れば平均化できると考えた場合、たった7回連続の結果で誤差などいくらでも出る」と割り切ることもできるんじゃないかと思います。
大学時代に心理学を学んでいたときに聞いた言葉ですが、「客観的に見て起こった事象は1つしかなくても、受け取る人にとってはそれぞれ違う事象として認識されるから、実際には1つの出来事に対して人の数だけ”事実”が起こる」というものがありました。
マジックにしても、2人での対戦が終わったあと、どんな試合だったかを双方に聞いたら「本当に同じものか?」と思うこともあります。そう考えれば、人の数だけ「その試合」が存在した、とも言えるので、印象とか事象とか、いろいろ出てくるものです。
だんだん書いてて何が言いたいのかわからなくなってきましたw
本来の趣旨では「運の良し悪しだけで語れるもの」もあれば、「自分が気づかないうちにミスしてること」もあるし、「自分の実力不足を認めたくないから運のせいにしたい」という心理も普通にある、ってことで、それは人によってみんな違ってくるものだろう、ということです。
一番大事なのは「自分がそんな選択肢の中で、どの道を選ぶか」ということかな、と。
単純に今日の野球の例を挙げれば「ミスして1点取れなくて負けた」と考えるか、「あと1点まで追い上げた惜しい試合」と考えるか、など、同じものでも捉え方はいろいろあるってことです。
その中で「自分が健康的でいられるために、どれを選ぶか」ということが大事だと言いたかったわけで。かといって周囲の人に嫌な思いをさせるべきではありませんが。
はい、まとめるフリしてただの駄文でしたーw
特にいいネタないから許してくださいwww
では今回はこのへんで。
最近は日が出るときは本当に気温が上がって、夏大好き(一部の悪魔の出没を除いて)なオレとしては実に嬉しいです。こういうのを「わが世の春」っていうのかな?季節思いっきりズレてるけどww
夏というと小さい頃に夏休みに田舎帰ったりしたときのことをいろいろ思い出すんですけど、今住んでる家がどことなく似てる雰囲気があって、たまに「あ、これ田舎であったアレと同じ」みたいに思うことがあります。匂いだとか風だとか水だとか。そういう意味ではけっこう幸せなんだなーって思います。最近めっきり行かなくなったんですけど、久しぶりに行きたくなってきたな。広島近いしw
さて、GP終わってからちょこちょこ出てる話題です。
某所で拝見したんですけど、「勝ったときは自慢気に語るけど、負けたら全部引きとか運のせいにしてる人」みたいな内容が出てますね。
もしかしたらオレ個人も似たようなところがあるかもしれないです。正直言って負けた試合はプレイングで負けた部分も多分にあるはずなんですが、それに気づかない場合も多いですし、本当の意味で「引きが悪くて負けた」場面もいっぱいあります。
例えば相手の場で《ウルフィーの銀心》が2体で結魂してて除去1枚も引けない場面とか、プレイングでやり過ごすにも限度があるわけでw しかも相手のデッキに銀心2枚しか入ってなかったら、「相手の引きつえー、オレの引きよえー」みたいな話になってもある意味仕方ない部分はあるのかな、とw 人によってこの手の噛み合い方っていろいろありますからね。
ちなみにオレ自身の場合は、デッキの構成上ある程度この言葉が出るのも仕方ないことはあります。自分の中で「できるだけ多くのものに対処したい」と考えてそのためのパーツをいくつも散らしているので、直面した状況に対してしっかり引けなかったら対処できない、ってパターンが多々あります。こういうときに「引きが弱い」って表現を使うこともありますが、ある意味運の弱さと同時に構築力の弱さも含めた自戒のつもりでもあったりします。
正直言って「何引いても勝てるデッキ」作り上げられれば「引きが弱い」なんて事象は発生しないわけで。そんなデッキが存在するかどうかはわかりませんが、ドロースペルを入れて確率を上げるなりなんなりすれば、それに近い形のデッキは作れなくもない気はします。
個人的な考えでは《出産の殻》デッキはよくできていると思います。
あれはキーカードになる殻さえ引けば、残りはクリーチャーのマナ域は散らしてあるので、ほぼどのクリーチャーを引いても「期待した動き」ができるのは強みだと思います。当然「出れば強いクリーチャー」で大半が構成されているので、殻を引けなくても直接手札に引いた場合、マナさえ整っていれば普通にプレイするだけで勝てる試合もけっこうあると思ってますし。
少なくともマジックやってる以上、デッキの約4割が土地、残りがスペルなら、当然初手がノーランドもオールランドも起こりうるわけでして。
同じようなパターンが何度も続いたらさすがに違和感は覚えるところですが、1回2回やったくらいでどうこう言うほどのことでもないかと思います。
どちらかというとアナログな考え方になるので検証は難しいですが、試合には「流れ」というものも存在します。野球好きで見てるオレとしては「ミスしてチャンスを逃したら自分のところにきてた流れが相手に移ってしまう」なんてことはよく感じますし、ビートダウンやスライなどのデッキを使ってる人が上位入賞してるときは「苦手なデッキ踏んだけどそれ以上の勢いで勝った」なんて話もよく聞きます。
確率論だとかで語ると信じられない現象ではあるんでしょうが、普通に考えたら7回戦のデータとして見ても「サンプルを1000回以上取れば平均化できると考えた場合、たった7回連続の結果で誤差などいくらでも出る」と割り切ることもできるんじゃないかと思います。
大学時代に心理学を学んでいたときに聞いた言葉ですが、「客観的に見て起こった事象は1つしかなくても、受け取る人にとってはそれぞれ違う事象として認識されるから、実際には1つの出来事に対して人の数だけ”事実”が起こる」というものがありました。
マジックにしても、2人での対戦が終わったあと、どんな試合だったかを双方に聞いたら「本当に同じものか?」と思うこともあります。そう考えれば、人の数だけ「その試合」が存在した、とも言えるので、印象とか事象とか、いろいろ出てくるものです。
だんだん書いてて何が言いたいのかわからなくなってきましたw
本来の趣旨では「運の良し悪しだけで語れるもの」もあれば、「自分が気づかないうちにミスしてること」もあるし、「自分の実力不足を認めたくないから運のせいにしたい」という心理も普通にある、ってことで、それは人によってみんな違ってくるものだろう、ということです。
一番大事なのは「自分がそんな選択肢の中で、どの道を選ぶか」ということかな、と。
単純に今日の野球の例を挙げれば「ミスして1点取れなくて負けた」と考えるか、「あと1点まで追い上げた惜しい試合」と考えるか、など、同じものでも捉え方はいろいろあるってことです。
その中で「自分が健康的でいられるために、どれを選ぶか」ということが大事だと言いたかったわけで。かといって周囲の人に嫌な思いをさせるべきではありませんが。
はい、まとめるフリしてただの駄文でしたーw
特にいいネタないから許してくださいwww
では今回はこのへんで。
コメント
もちろん、運の要素はありますが、プレイイングが勝敗を左右することも多々あるので、そこは日々精進していきたいです。
だいたい試合の要素って、運も絡めて「勝てる試合」「勝てない試合」「どちらにもなる試合」の3種類があると思うんですが、「勝てる試合」を確実に取ることと「どちらにもなる試合」をいかに拾うか、という話になってくると思います。その精度を上げるために必要になることというと、やっぱり「プレイングを磨く」ということになるんでしょうね。たまに「勝てない試合」をひっくり返すことも出てくるので。
やはり運に左右されるとはいえ、練習していくことは何事にも大事なことだと思います。