少しだけ昔話。一番好きな数字。
2013年10月4日 野球 コメント (5)「俺様の美技に・・・酔いな!!」「廬山 昇龍覇!!」>挨拶
同じ日に生まれたとは到底思えんwww てかタイプ的に設定おかしいだろw
とりあえずそろそろΩでも紫龍が活躍してくれそうなので期待ageしちゃいそうですw
今日はえらく寒い一日になりましたね。昨日まで風邪っぽかったので薬飲んでたんですけど、今朝は大丈夫かと思って飲まないでいたら、夕方から喉が少し痛くなって驚きました。治したはずが次のやつが来たとかだったらシャレにならないですww 一応厚着とマスクで乗り切ったんですが、寒いと思ったあたり、まだ治りきってないのかもしれません。
昨日は前田智徳選手のお話で完全に埋めてしまいました。やはりこれまでを見ると、本当に大きな、偉大な選手でした。
ただよくよく思い返してみると、彼の凄さをより肌で感じるようになったのは、2000年以降くらいなんですよね。もちろんそれまでも凄い活躍してましたし、怪我する前のレベルの高さも、怪我と付き合いながらも高いクオリティのパフォーマンスを発揮したことも覚えていますが、それ以上の理由は「選手の流出」だったと思います。
90年代中盤の、個人的には広島打線が一番強かった頃を思い出してみると、打線の並びが、
1 緒方孝市(盗塁王3回、打者としても3割6回、20本塁打以上6回、最高36本塁打を記録)
2 正田耕三(首位打者2回、全盛期は過ぎてたものの繋ぎ役のいぶし銀として活躍)
3 野村謙二郎(現監督。最多安打2回、盗塁王3回、3割30本30盗塁も達成)
4 江藤智(本塁打王2回、打点王1回。このメンバーの中で不動の四番)
5 前田智徳(言わずもがな。タイトルはないものの98年に首位打者の鈴木尚典と2厘差の2位)
6 ルイス・ロペス(来日から2年連続打点王。最多安打1回、広島在籍最終年以外はすべて打率3割以上を記録、100打点3回)
7 金本知憲(言わずもがな。移籍後打点王1回、1492試合連続試合フルイニング出場、他)
8 西山秀二(捕手ながら打率.314を記録したことも。古田、城島、阿部あたりは別格としても、捕手としては打てる選手だった)
と、球史に名を残すような選手だらけでした。
その中でも打撃技術では右に出る者はいないと評されていましたが、怪我が多いメンバーの中でも特に故障が目立つこともあり、「通年の成績(数字)で見ると突出していたわけではなかった」「怪我さえなければ」というのが当時の印象でした。
その後正田が早めに引退し、残った選手の中でも江藤、金本、ロペスと退団し、野村が怪我で打てなくなったこともあって、次第に前田の凄さが際立ってきたように思えます。この頃には嶋や新井、栗原が育ってきたり、シーツ、ラロッカといった新外国人も活躍してましたが、90年代中盤ほどのタレントは揃っていなかったというイメージです。むしろ前が偉大すぎて、抜け落ちていく歯車を必死に新しいパーツで埋めてたような感覚すら。フラットに見ると彼らも素晴らしい活躍してたんですが、時系列を見るとどうしても、というところではあります。
で、90年代から熱狂的にハマった俺ですが、この中で一番好きだった選手は江藤でした。きっかけは90年代のある試合。巨人相手に8回裏で4-2で負けているときに、ランナー2人を置いて江藤の打席を迎えたところ。「ここでホームランが出れば逆転できるな」と思ってたら、本当にレフトスタンドに逆転のスリーランを打ったことでした。江藤は典型的なホームランバッターで、その弾道は見る者を魅了する美しさを誇っていました。
その後、ホームラン、打点を多く挙げる強打者にハマったこともあり、ロペスにもかなり魅了されました。彼は勝負強さが際立っていて、「ここで打てば勝てる」という場面で特に活躍していたように思えます。大好きだったのに契約がまとまらず2年で移籍したときは本当に落ち込みましたが、その後江藤がFAで移籍してから、新外国人のボールが開幕から不振だったことでシーズン途中で再獲得したときはとんでもなく喜んだ記憶があります。
江藤が広島時代につけていた背番号は33。彼が移籍してからは外人選手の番号になり、広島に戻ってきたロペスがつけた番号も33番でした。ロペスが最初に入団したときの背番号は2でしたが、再獲得したときは東出がこの番号をつけていたことも関係ありました。
ロペスの思い出というと、チームに再合流した2000年代の8月の巨人との試合がとても印象深いです。1点を先制されたあと、ランナー2人を置いてロペスが二塁打を放ち逆転。その後清原に満塁ホームランを打たれて5-2となったものの、5回にランナー2人を置いて3ランを放ち同点。そのまま9回を迎え、アウトかセーフかの微妙な判定で新井と野村が抗議し、どちらか(両方だったかな?)が退場、そのときのランナー2人を後藤がライト線への二塁打で返して7-5となり、9回裏。ピッチャー岡島から朝山と金本が1,3塁のチャンスを作り、ワイルドピッチで1点差、そこから左中間スタンドへ逆転サヨナラ2ランを放った試合でした。
巨人相手に8得点中7打点を挙げ、実質「1試合の中で2回負けて3回勝った」ようなものでした。一番最後は中継が時間切れでしたが、ラジオのアナウンサーの「岡島、第5球を投げた!・・いったーーー!!」はいまだに忘れられません。
そんなわけで、特に思い入れの強いこの背番号の「33」という数字が、今でも一番好きな数字になっています。
その後、ロペスが前田とロッカー裏で喧嘩したこともあって出場停止処分を下され、そのシーズンで調子を取り戻せず退団してしまいました。翌年から背番号33を背負った鞘師が活躍できずに引退してしまったこともあり、この番号はもう普通の選手の番号になってしまったのかな、と思ったこともありました。
その後この番号を継いだのが菊池涼介なわけですが、2年目の今年は1年目から比べて素晴らしい進化を遂げています。もともと身体能力は高い選手でしたが、本来のショートから今年は東出の離脱もあってセカンドで出場を続け、その神がかり的な守備範囲を生かして、先日も書いたように補殺数の日本記録に挑めるほどになりました。残り1試合でその記録に届くかどうかというところらしいですが、ロペス以来久しぶりに「背番号33」が輝きを取り戻したように思えて、内心非常に嬉しいです。
もっとも入団時には野村監督の現役時代の背番号「7」を希望したほどの選手なので、もっと小さい数字の番号が空いたら、そっちに代わってしまうかもしれません。それでも、それまでの間だけでも再び33番が輝くなら、それは個人的にも喜ばしいことなのかなと思います。これまで好きだった江藤やロペスとはタイプが違いますが、今後もこの背番号を背負った選手が輝き続けてくれることを祈りたいところです。
なんて、昨日の今日でついつい語ってしまいましたw 特に出来事があったわけではなかったもので。
あっと、そういえば。
去年も書いたからご存知の方もいらっしゃるかもしれませんけど、今日誕生日でした。
自分としてはまた「新しい一年が始まる」感覚ではありますが、今後とも皆様に興味を持って読んでいただけるようなものを書いていけたら、と思います。基本オタの垂れ流しなので、長くなったりして読みにくいところもあるかと思いますが、よかったらまた見に来てやってください。
では今回はこのへんで。
同じ日に生まれたとは到底思えんwww てかタイプ的に設定おかしいだろw
とりあえずそろそろΩでも紫龍が活躍してくれそうなので期待ageしちゃいそうですw
今日はえらく寒い一日になりましたね。昨日まで風邪っぽかったので薬飲んでたんですけど、今朝は大丈夫かと思って飲まないでいたら、夕方から喉が少し痛くなって驚きました。治したはずが次のやつが来たとかだったらシャレにならないですww 一応厚着とマスクで乗り切ったんですが、寒いと思ったあたり、まだ治りきってないのかもしれません。
昨日は前田智徳選手のお話で完全に埋めてしまいました。やはりこれまでを見ると、本当に大きな、偉大な選手でした。
ただよくよく思い返してみると、彼の凄さをより肌で感じるようになったのは、2000年以降くらいなんですよね。もちろんそれまでも凄い活躍してましたし、怪我する前のレベルの高さも、怪我と付き合いながらも高いクオリティのパフォーマンスを発揮したことも覚えていますが、それ以上の理由は「選手の流出」だったと思います。
90年代中盤の、個人的には広島打線が一番強かった頃を思い出してみると、打線の並びが、
1 緒方孝市(盗塁王3回、打者としても3割6回、20本塁打以上6回、最高36本塁打を記録)
2 正田耕三(首位打者2回、全盛期は過ぎてたものの繋ぎ役のいぶし銀として活躍)
3 野村謙二郎(現監督。最多安打2回、盗塁王3回、3割30本30盗塁も達成)
4 江藤智(本塁打王2回、打点王1回。このメンバーの中で不動の四番)
5 前田智徳(言わずもがな。タイトルはないものの98年に首位打者の鈴木尚典と2厘差の2位)
6 ルイス・ロペス(来日から2年連続打点王。最多安打1回、広島在籍最終年以外はすべて打率3割以上を記録、100打点3回)
7 金本知憲(言わずもがな。移籍後打点王1回、1492試合連続試合フルイニング出場、他)
8 西山秀二(捕手ながら打率.314を記録したことも。古田、城島、阿部あたりは別格としても、捕手としては打てる選手だった)
と、球史に名を残すような選手だらけでした。
その中でも打撃技術では右に出る者はいないと評されていましたが、怪我が多いメンバーの中でも特に故障が目立つこともあり、「通年の成績(数字)で見ると突出していたわけではなかった」「怪我さえなければ」というのが当時の印象でした。
その後正田が早めに引退し、残った選手の中でも江藤、金本、ロペスと退団し、野村が怪我で打てなくなったこともあって、次第に前田の凄さが際立ってきたように思えます。この頃には嶋や新井、栗原が育ってきたり、シーツ、ラロッカといった新外国人も活躍してましたが、90年代中盤ほどのタレントは揃っていなかったというイメージです。むしろ前が偉大すぎて、抜け落ちていく歯車を必死に新しいパーツで埋めてたような感覚すら。フラットに見ると彼らも素晴らしい活躍してたんですが、時系列を見るとどうしても、というところではあります。
で、90年代から熱狂的にハマった俺ですが、この中で一番好きだった選手は江藤でした。きっかけは90年代のある試合。巨人相手に8回裏で4-2で負けているときに、ランナー2人を置いて江藤の打席を迎えたところ。「ここでホームランが出れば逆転できるな」と思ってたら、本当にレフトスタンドに逆転のスリーランを打ったことでした。江藤は典型的なホームランバッターで、その弾道は見る者を魅了する美しさを誇っていました。
その後、ホームラン、打点を多く挙げる強打者にハマったこともあり、ロペスにもかなり魅了されました。彼は勝負強さが際立っていて、「ここで打てば勝てる」という場面で特に活躍していたように思えます。大好きだったのに契約がまとまらず2年で移籍したときは本当に落ち込みましたが、その後江藤がFAで移籍してから、新外国人のボールが開幕から不振だったことでシーズン途中で再獲得したときはとんでもなく喜んだ記憶があります。
江藤が広島時代につけていた背番号は33。彼が移籍してからは外人選手の番号になり、広島に戻ってきたロペスがつけた番号も33番でした。ロペスが最初に入団したときの背番号は2でしたが、再獲得したときは東出がこの番号をつけていたことも関係ありました。
ロペスの思い出というと、チームに再合流した2000年代の8月の巨人との試合がとても印象深いです。1点を先制されたあと、ランナー2人を置いてロペスが二塁打を放ち逆転。その後清原に満塁ホームランを打たれて5-2となったものの、5回にランナー2人を置いて3ランを放ち同点。そのまま9回を迎え、アウトかセーフかの微妙な判定で新井と野村が抗議し、どちらか(両方だったかな?)が退場、そのときのランナー2人を後藤がライト線への二塁打で返して7-5となり、9回裏。ピッチャー岡島から朝山と金本が1,3塁のチャンスを作り、ワイルドピッチで1点差、そこから左中間スタンドへ逆転サヨナラ2ランを放った試合でした。
巨人相手に8得点中7打点を挙げ、実質「1試合の中で2回負けて3回勝った」ようなものでした。一番最後は中継が時間切れでしたが、ラジオのアナウンサーの「岡島、第5球を投げた!・・いったーーー!!」はいまだに忘れられません。
そんなわけで、特に思い入れの強いこの背番号の「33」という数字が、今でも一番好きな数字になっています。
その後、ロペスが前田とロッカー裏で喧嘩したこともあって出場停止処分を下され、そのシーズンで調子を取り戻せず退団してしまいました。翌年から背番号33を背負った鞘師が活躍できずに引退してしまったこともあり、この番号はもう普通の選手の番号になってしまったのかな、と思ったこともありました。
その後この番号を継いだのが菊池涼介なわけですが、2年目の今年は1年目から比べて素晴らしい進化を遂げています。もともと身体能力は高い選手でしたが、本来のショートから今年は東出の離脱もあってセカンドで出場を続け、その神がかり的な守備範囲を生かして、先日も書いたように補殺数の日本記録に挑めるほどになりました。残り1試合でその記録に届くかどうかというところらしいですが、ロペス以来久しぶりに「背番号33」が輝きを取り戻したように思えて、内心非常に嬉しいです。
もっとも入団時には野村監督の現役時代の背番号「7」を希望したほどの選手なので、もっと小さい数字の番号が空いたら、そっちに代わってしまうかもしれません。それでも、それまでの間だけでも再び33番が輝くなら、それは個人的にも喜ばしいことなのかなと思います。これまで好きだった江藤やロペスとはタイプが違いますが、今後もこの背番号を背負った選手が輝き続けてくれることを祈りたいところです。
なんて、昨日の今日でついつい語ってしまいましたw 特に出来事があったわけではなかったもので。
あっと、そういえば。
去年も書いたからご存知の方もいらっしゃるかもしれませんけど、今日誕生日でした。
自分としてはまた「新しい一年が始まる」感覚ではありますが、今後とも皆様に興味を持って読んでいただけるようなものを書いていけたら、と思います。基本オタの垂れ流しなので、長くなったりして読みにくいところもあるかと思いますが、よかったらまた見に来てやってください。
では今回はこのへんで。
コメント
ロペスがいて正田が2番ってことは、96年ですね。
97年は1.野村-2.緒方-3.前田でしたから。
ロペスのいた2年って、どっちも江藤が戦線離脱したんですよね…
結果的に、ロペスが代役で4番を打って、打点王争いを抜け出たんだったかな。
ライブラとかマジ汚い
このころの打線って黄金時代ライオンズにひけをとらない完成度だったよね
虎キチとしてはずっと歯軋りしてた記憶w
ありがとうございます。
そうですね、正田が7番に回ったのは後なので96年になります。
そういえばどっちも江藤が抜けて4番にロペス入れて、町田にサード練習させたけど打つ方で穴埋められなかったってパターンでした。江藤がずっと残ってロペスが6番打ち続けられたらこの世代で優勝できた最後のチャンスだったと思います。本当にもったいなかったです。
>ヤンさん
ありがとうございまーす!
いやー、3代に亘って完全に味方サイドなのは本当によかったですw 原作で一番好きだった水瓶座がΩで酷いことになってましたからww
あれ?ヤクファンとして優勝か4位かを隔年で続けて楽しい時代じゃなかったんですか?ww
確かに西武の黄金時代とも勝負できそうな打線でした。その前に日本シリーズで当たったときは打線が最弱レベルだっただけに、あのときの投手陣と組み合わせれば、とか考えたりもしますw
広島ファンになっとけばしばらく優勝しないから長続きでき・・・ウッ(;;