ひとつの時代が 終わりを告げた
2013年9月27日 野球 コメント (4)発売日とか言ってる場合じゃないw>挨拶
今日はついにテーロスの発売日でした。なんとかフリーになってから秋葉原回ってみたんですけど、カードが全体的に安かった、というのが印象です。
一応既にある程度は押さえてることもあって、少しだけ買いそびれたものを調達して帰ることにしたんですが、やっぱりデッキ用意できてないと違った見方になってしまうのかな、という印象です。戦場を目の前にして乗るMSがないパイロットってこんな気分なのかな・・とか思ったりw そういや最近ガンダムシリーズ見てないなぁ。
明日からはシールドのPWC2連戦ですね。明日はチーム戦なので、チームメイトのお二人、よろしくお願いします。頼むから今度は来て!!www
今日はフライデーにも出なかったので、昨日から始まったQMAのプロ野球検定やりに行きました。これまでの野球検定とはまた別物らしく、集計ゼロから始めました。まぁ2クレでSSまではいったんですけどw 知ってる問題が多くて点数稼げたのはいいんですけど、知らない問題もいくつか出ててちょっと驚きました。やっぱり生まれる前の時代のお話はよくわかりませんw
赤い魔竜の討伐もやってたのでちょっと覗いてみたんですけど、夜からいくとまず予選残れないですねw 決勝まで残ればほぼ勝ち確定ですけど、そこまでが茨の道って感じでした。討伐できてる人凄いと思います。
まぁ・・・そんな感じで楽しんできた、というか気を紛らわしていたんですけど、やっぱり大きいものからは目を逸らせないものですね。
はい。今日発表された、前田智徳選手の引退のお話です。
彼は野球ファンなら知らない人がいないくらいの凄い打者でした。高卒1年目からレギュラーに定着し、走攻守の三拍子揃った、とりわけ打撃面では落合やイチローですらも「本物の天才」と呼ぶ、素晴らしい打者です。
1995年の神宮での試合で、一塁ベースに駆け込んだ際にアキレス腱を断裂してから、毎年のように怪我と戦い続けることになりましたが、その打撃技術は衰えることを知らず、積み重ねた安打は2119本。カープの主軸として、また近年は代打の切り札どころか神とすら呼ばれる存在になっていました。
今年も開幕してから好調だったんですが、4月の神宮でヤクルトの江村からデッドボールを受けて左手の尺骨を骨折、その後復帰へ向けて懸命にリハビリを続けていましたが、怪我がなかなか治らず、打撃練習は再開したものの自身の感覚が戻らなかったということで、今日引退を発表されました。
正直言って、驚いたを通り越して放心状態です。今のカープを見ても、打者の中で「本物」と呼べるのは恐らく前田しかいないでしょう。もちろん今年は若手も素晴らしい活躍をしていますが、レベルが違うというか、それだけの実力と存在感を持っている選手でした。今年についても「前田さんが帰ってくるまで頑張る」みたいなところがチーム全体でもありましたし。
ただ、本人の中でもいろいろ思うところはあったはずです。何年も前から引退を考えていて、今回やっと決断できた、ということでしたが、チーム事情から彼の力が必要なこと、チームが長く低迷していたことなど、辞められない要素はいろいろあったはずです。今年チームがCS進出を決めたことで、区切りとすることも考えたのではないでしょうか。
彼は数々の逸話も残した選手です。中には面白いものがいくつもあるので、改めて探してみるのもいいかもしれません。
個人的には、第2回WBCのときのお話が好きです。
当時、代表メンバーのイチローが本来の力を発揮できず苦しんでいましたが、決勝トーナメントに残った頃に、横浜の村田修一(現巨人)が太ももの肉離れで戦線離脱し、かわりに広島から栗原が招集されたことがありました。
そのときの栗原とイチローの間に、こんな会話があったとか。
----------------------------------------------------------
栗原「イチローさん、伝言があります。」
イチロー「?」
栗原「その・・広島のイチローさんのファンの、野球好きのオッサンから、ということで・・」
イチロー「なるほど。それで?」
栗原「えっと・・その・・・イチローさんが構えたときのグリップが、3センチ下がっていると・・・」
イチロー「なるほど、了解。その方にくれぐれもよろしくお伝えください」
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2ちゃんから拾ったので一部改編だったりいろいろあると思いますが、こんな感じで栗原からイチローへのアドバイスが伝えられたとか。
ここまでお読みの方なら、もうおわかりだと思います。
現時点の現役選手で最高クラスの天才打者であるイチローに、こんなアドバイスができる選手、しかも広島からというと、確実に1人しかいませんよねww
まぁ実際にあったお話とは違う部分もあったんでしょうけど、その後のイチローは韓国との決勝戦で林昌勇から決勝のタイムリーを放っていることからも、確実に大きな力になっていました。むしろこの栗原からの伝言がなければ、あの試合に勝てていたかどうか・・・さすがに言い過ぎかもしれないですがw
本当のことを言うと、あと1年はやってもらいたかったところはあります。
というのも、前田にデッドボールを当てた江村と、復活した形でもう一度対戦してもらいたかったからです。
今でも広島ファンの中には、江村を許せていない人がいます。それはそれで悲しいことではあるのですが、多くのファンは、「元気に復活してからの、彼らの真剣勝負を見たい」と思ったはずです。そのことによって、多くの人が救われるはずです。
形としては江村の1球が前田を引退に追い込んだ、と見られてもおかしくありません。今後に向けて、江村自身も何かを抱え込むことになるかもしれません。彼は元々が広島の出身で、ファンとしてずっと応援していた、ということですから、余計にありうる話だと思います。
ただ、これもプロの世界、勝負の世界です。仕方ないことではあります。今後に向けては、変なものを引きずらないでいい勝負を続けてもらいたいところです。
いくつもの伝説を作り、いくつもの夢を与えてくれ、いくつもの逸話で楽しませてくれた前田智徳。彼の活躍を見られる機会がもうほとんどないと急に告げられると、本当に寂しくて、切なくて、たまりません。
ただいつかは決断しなければいけない日はやってくるもので、それが今日だった、ということでした。
前田の引退試合は、10月3日に決まったそうです。既にチケットはほぼ売り切れたとか。それは当然だと言えるくらい、人気も実力もある選手です。
これで、前回の広島の優勝を知っている選手は、全員が現役生活から退くことになります。前回のAクラスを知る選手も、もう横山だけになります。
それでも今年Aクラスを決めました。これから、新しい時代を築いていかなければなりません。その前のひとつの時代に幕が引かれる、そんな思いです。
できることなら、広島史上最強の打線を組めていた90年代中盤以降、前田の全盛期と言える時代に、一度でいいから優勝できれば、と今でも思います。今ほど試合を見られる環境ではなかったですが、ラジオの前からでもワクワク感が止まらない、試合がいつも楽しい日々でした。
思い出を語り始めたらいくらやっても止まらないですが、それだけ大きなものの詰まった時代を、ともに過ごすことができて、幸せだったと思います。
最後のひと言は、その日の試合が終わるまでは言わないでいようと思います。
では今回はこのへんで。
今日はついにテーロスの発売日でした。なんとかフリーになってから秋葉原回ってみたんですけど、カードが全体的に安かった、というのが印象です。
一応既にある程度は押さえてることもあって、少しだけ買いそびれたものを調達して帰ることにしたんですが、やっぱりデッキ用意できてないと違った見方になってしまうのかな、という印象です。戦場を目の前にして乗るMSがないパイロットってこんな気分なのかな・・とか思ったりw そういや最近ガンダムシリーズ見てないなぁ。
明日からはシールドのPWC2連戦ですね。明日はチーム戦なので、チームメイトのお二人、よろしくお願いします。頼むから今度は来て!!www
今日はフライデーにも出なかったので、昨日から始まったQMAのプロ野球検定やりに行きました。これまでの野球検定とはまた別物らしく、集計ゼロから始めました。まぁ2クレでSSまではいったんですけどw 知ってる問題が多くて点数稼げたのはいいんですけど、知らない問題もいくつか出ててちょっと驚きました。やっぱり生まれる前の時代のお話はよくわかりませんw
赤い魔竜の討伐もやってたのでちょっと覗いてみたんですけど、夜からいくとまず予選残れないですねw 決勝まで残ればほぼ勝ち確定ですけど、そこまでが茨の道って感じでした。討伐できてる人凄いと思います。
まぁ・・・そんな感じで楽しんできた、というか気を紛らわしていたんですけど、やっぱり大きいものからは目を逸らせないものですね。
はい。今日発表された、前田智徳選手の引退のお話です。
彼は野球ファンなら知らない人がいないくらいの凄い打者でした。高卒1年目からレギュラーに定着し、走攻守の三拍子揃った、とりわけ打撃面では落合やイチローですらも「本物の天才」と呼ぶ、素晴らしい打者です。
1995年の神宮での試合で、一塁ベースに駆け込んだ際にアキレス腱を断裂してから、毎年のように怪我と戦い続けることになりましたが、その打撃技術は衰えることを知らず、積み重ねた安打は2119本。カープの主軸として、また近年は代打の切り札どころか神とすら呼ばれる存在になっていました。
今年も開幕してから好調だったんですが、4月の神宮でヤクルトの江村からデッドボールを受けて左手の尺骨を骨折、その後復帰へ向けて懸命にリハビリを続けていましたが、怪我がなかなか治らず、打撃練習は再開したものの自身の感覚が戻らなかったということで、今日引退を発表されました。
正直言って、驚いたを通り越して放心状態です。今のカープを見ても、打者の中で「本物」と呼べるのは恐らく前田しかいないでしょう。もちろん今年は若手も素晴らしい活躍をしていますが、レベルが違うというか、それだけの実力と存在感を持っている選手でした。今年についても「前田さんが帰ってくるまで頑張る」みたいなところがチーム全体でもありましたし。
ただ、本人の中でもいろいろ思うところはあったはずです。何年も前から引退を考えていて、今回やっと決断できた、ということでしたが、チーム事情から彼の力が必要なこと、チームが長く低迷していたことなど、辞められない要素はいろいろあったはずです。今年チームがCS進出を決めたことで、区切りとすることも考えたのではないでしょうか。
彼は数々の逸話も残した選手です。中には面白いものがいくつもあるので、改めて探してみるのもいいかもしれません。
個人的には、第2回WBCのときのお話が好きです。
当時、代表メンバーのイチローが本来の力を発揮できず苦しんでいましたが、決勝トーナメントに残った頃に、横浜の村田修一(現巨人)が太ももの肉離れで戦線離脱し、かわりに広島から栗原が招集されたことがありました。
そのときの栗原とイチローの間に、こんな会話があったとか。
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栗原「イチローさん、伝言があります。」
イチロー「?」
栗原「その・・広島のイチローさんのファンの、野球好きのオッサンから、ということで・・」
イチロー「なるほど。それで?」
栗原「えっと・・その・・・イチローさんが構えたときのグリップが、3センチ下がっていると・・・」
イチロー「なるほど、了解。その方にくれぐれもよろしくお伝えください」
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2ちゃんから拾ったので一部改編だったりいろいろあると思いますが、こんな感じで栗原からイチローへのアドバイスが伝えられたとか。
ここまでお読みの方なら、もうおわかりだと思います。
現時点の現役選手で最高クラスの天才打者であるイチローに、こんなアドバイスができる選手、しかも広島からというと、確実に1人しかいませんよねww
まぁ実際にあったお話とは違う部分もあったんでしょうけど、その後のイチローは韓国との決勝戦で林昌勇から決勝のタイムリーを放っていることからも、確実に大きな力になっていました。むしろこの栗原からの伝言がなければ、あの試合に勝てていたかどうか・・・さすがに言い過ぎかもしれないですがw
本当のことを言うと、あと1年はやってもらいたかったところはあります。
というのも、前田にデッドボールを当てた江村と、復活した形でもう一度対戦してもらいたかったからです。
今でも広島ファンの中には、江村を許せていない人がいます。それはそれで悲しいことではあるのですが、多くのファンは、「元気に復活してからの、彼らの真剣勝負を見たい」と思ったはずです。そのことによって、多くの人が救われるはずです。
形としては江村の1球が前田を引退に追い込んだ、と見られてもおかしくありません。今後に向けて、江村自身も何かを抱え込むことになるかもしれません。彼は元々が広島の出身で、ファンとしてずっと応援していた、ということですから、余計にありうる話だと思います。
ただ、これもプロの世界、勝負の世界です。仕方ないことではあります。今後に向けては、変なものを引きずらないでいい勝負を続けてもらいたいところです。
いくつもの伝説を作り、いくつもの夢を与えてくれ、いくつもの逸話で楽しませてくれた前田智徳。彼の活躍を見られる機会がもうほとんどないと急に告げられると、本当に寂しくて、切なくて、たまりません。
ただいつかは決断しなければいけない日はやってくるもので、それが今日だった、ということでした。
前田の引退試合は、10月3日に決まったそうです。既にチケットはほぼ売り切れたとか。それは当然だと言えるくらい、人気も実力もある選手です。
これで、前回の広島の優勝を知っている選手は、全員が現役生活から退くことになります。前回のAクラスを知る選手も、もう横山だけになります。
それでも今年Aクラスを決めました。これから、新しい時代を築いていかなければなりません。その前のひとつの時代に幕が引かれる、そんな思いです。
できることなら、広島史上最強の打線を組めていた90年代中盤以降、前田の全盛期と言える時代に、一度でいいから優勝できれば、と今でも思います。今ほど試合を見られる環境ではなかったですが、ラジオの前からでもワクワク感が止まらない、試合がいつも楽しい日々でした。
思い出を語り始めたらいくらやっても止まらないですが、それだけ大きなものの詰まった時代を、ともに過ごすことができて、幸せだったと思います。
最後のひと言は、その日の試合が終わるまでは言わないでいようと思います。
では今回はこのへんで。